東京高等裁判所 昭和39年(う)331号 判決
被告人 相田一男 外四名
〔抄 録〕
一、次に所論は、原判決には本件逮捕行為について手段、程度の社会的相当性の判断について誤りがあるが、先ず、原判決には当該行為にでること自体の必要性、すなわち、手段、方法自体の情況上の相当性についての誤りがある。なかんずく、
(1) 原判決が「新鉄局側の本件ビラ剥ぎ取りに対する被告人らの抗議は正当である」と結論をしたことに対し、本件ビラは組合側が一方的に電務区長を誹謗し、人身攻撃をし、通常名誉毀損にあたると認むべき内容が記載されているものであるから、掲示を許可すべきものでないことは明らかである、従つて当局側においてかかるビラの掲示を禁止し、再び掲示しないことを約束するまでビラを剥ぎ取り保管するという措置をとつたことは、至極当然で何ら責められるべきものではないと論ずるのである。
よつて、この点について按ずるに、先ず証拠によれば、昭和二十七年五月九日付国鉄副総裁より「組合に対する便宜の供与について」なる依命通達によれば、「施設の利用」として「正規の組合活動による掲示類は、その責任者を明記し掲示内容について事前に許可を受けさせ、指定した以外の場所は認めないこと、(注)掲示類は日本国有鉄道の信用を傷つけるようなもの、政治闘争又は人身攻撃にわたるようなもの及び共産党〇〇細胞等は認めてはならない。」旨記載されてあり、この通達は同年六月頃新潟鉄道管理局内においても一般的に周知の方法がとられており、これに対し組合側から抗議があつたということは記録上認め得ず、これに反しこの通達の趣旨に反する内容をもつ労働組合側のビラは、当局の管理下にある掲示板にこれを掲示する場合でも総べて自由で、当局側の容喙を許さないという慣行が確立していたということは、これを認め得ないというべきである。ところで、当局の管理下におかれている掲示板を労働組合が利用することを許されている場合においても、労働組合のビラの掲示について一般的に許可制をとるということは、これを妥当としないという見解も存するが、右通達の如き許可制をとつたとしても、必らずしもそれを違法視するには当らないというのは、右通達の「注」において例示されているような内容を持つビラの掲示が許されないとすることは不当ではなく、それら不当の内容の存否を予めチエツクするためには事前許可にかからしめる必要があるからである。但し、この場合の許可制というのは、あらゆる場合において恣意的に許可するとせざるとの自由を当局側に保留させるということを意味すべきではなく、不当に許可しない場合においては、不当労働行為であるという抗議が正当に成立つということを意味すべきである。もつとも、ビラの掲示は一応労働組合側の自由にまかせておき、その内容が不当である場合には、管理者たる立場において組合側にその撤去を要求し、それに応じない場合において当局側でこれを撤去することを得るという条件を附することに改めても、それは許可制という名を捨てることにはなるが、実質的には前段説明の許可制と大いに異るところはないと認められる。いずれにしても、管理者たる当局側から便宜供与を受け、その管理権に服するという以上或る程度の制限を被るということは当然で、若しそれをも嫌つて絶対、無制限の情報宣伝活動をしたいというなら、当局の便宜供与などにまたないで、自主独立の掲示板を設置すべきであり、むしろそれが労働組合の行動としては本筋であるというべきである。
本件においては、右副総裁の依命通達は、新鉄国労組合員にも周知方の手段がとられたことは前記のとおりであり、組合員はそれを了承した上従来当局の管理権下にある掲示板の使用をして来た筈であると認むべきで、事実上許可なく掲示をして来たことがあつたとしても、それによつて当局側の意思を無視して自由に掲示板を運営する既得権を獲得したのである、従つて当局側は管理権を喪失したとか抛棄したとか論ずることは許されないというべきである。
また、許可制の当否は別としても、本件におけるビラの内容は「坂口、国労役員に暴力をふるう、本日総点呼後から、書記長遠藤君の業務上の連絡行為に対し尾行をつづけた、これを排除しようとすると坂口は突然やる気か!! と左ほほに一発くらわした。遠藤君は専門医の治療をうけた結果「本日は静養が必要である、なお三日間は治療を要する。」といわれた。われわれはこのような暴力区長のもとでは安心して作業をつづけて行くことはできない。坂口にはもはや区長の資格はない。坂口は即刻責任をとれ。一九五八年五月十八日分会委員会。」というのであり、明らかに人身攻撃を内容としており、その点からも右通達により掲示を禁ぜられているのであるから、当局側において右通達の趣旨に反する内容を有するとして、これを管理権に基づき組合側の諒解を得ず剥ぎ取つたとしても、それをもつて不当視するには当らない。この点に関し原判決が本件剥ぎ取りは右通達によつてなされたものと認められないといつているのは相当ではない。もつとも、剥ぎ取る前に、本件ビラの掲示は内容が不穏当であるという理由で、組合側に自発的撤去を求め、これに応じない場合に当局側で撤去するという方が衝突を避ける意味で良策であつたかも知れないが、当時の情勢からいえば、組合側が撤去の要求に応ずることは考えられないから、当局側がそれを見越して組合側に撤去を求めないまま剥ぎ取つたとしても、既にビラの内容が準拠すべき右通達の趣旨に反する不穏当なものであることが明らかである以上、それが労働組合の権利に対し重大な侵害であるが如く論ずるのは当らないというべきである。
なお、本件ビラの内容となつている坂口電務区長と遠藤繁との殴打事件というのは、原審における坂口末松、長谷川義二らの証言によると、当時の当局側と組合側との尖鋭な対立状態の下に、極く些細の事柄から両名が喧嘩をした揚句、双方において暴力の交換をしたもので、坂口が遠藤の上司として下僚と争つたのも大人気ない話であるが、遠藤もその言語、動作において不遜、不穏当であり、職場の秩序を紊る行為を敢てしたものというべきで、客観的にみれば、少くとも一方的に相手方を非難、攻撃し得る場合ではなく、これを本件ビラにおいて記載されているような表現で坂口を攻撃するのは、事実を曲げ人身攻撃に偏するものであると解されても止むを得ぬというべきである。本件労働組合としては、すべからく客観的にみて、その内容が相当であり、非難の余地がないビラであるのに、それが掲示方を拒否されたとか又は剥ぎ取られたというのであれば、そのことを理由として、それが将来の情報宣伝運動の正常な運営が阻害される惧れがあると強調して抗議をするならば格別、ビラの内容が前記の如き不穏当なものである以上、それが剥ぎ取られたからといつて、そのため将来の情報宣伝運動が必然的に阻害される惧れがあるなどということは妥当な見解とはいい難く、万人の共感を得る所以であるとはいい難い。
果して然らば、本件ビラの剥ぎ取りに対する被告人らの抗議については、精々組合側に一応撤去方を促し、それに応じない場合に当局側において撤去するという方が穏当ではなかつたかといい得るに止まり、原判決のいうが如き意味においてこれを正当視することはできず、いわんや、本件逮捕行為の実質的違法性を阻却する有力な一事由とするには足りないというべきである。
二、更に、所論は、原判決には法益均衡について判断の誤りがあるとし、原判決が、長谷川助役に対し加えられた身体の自由拘束は、具体的侵害で無視し得ないが、組合側が同人から受けたビラ剥取りによる組合活動の自由に対する侵害行為は、抽象的侵害ではあるが、当時の具体的情況下における組合にとつては、重大な侵害を受けたものと認められ、更に将来同様な侵害の繰り返される危険が存在するから、右のような身体の自由拘束と組合活動の自由、労使対等の地位の確保を比較検討すると、法益の均衡を失うとも断じ難いと判断したことに対し、長谷川助役の受けた身体の自由拘束は、具体的で極めて強度のものであつて、被告人らのいう組合活動の自由に対する将来の侵害の危険性とは比較にならない程重要な現実的侵害であり、たとえ労働三権を擁護する場合であつても、個人の生命、身体に対する直接的強制は許されないから、原判決の判断は失当であるというのである。
思うに、勤労者の団結する権利というものが保障されているとはいえ、その故に労働組合の組合員の集団的行動が暴力的色彩を帯びるということについては、厳にこれを抑制すべきで、労働組合の集団的行動であるから多少の暴力の行使や或いはそれに伴う流血の沙汰なども黙認されるべきであるという見解は是認すべきではなく、労働組合法第一条第二項但書はつとにこのことをいましめているのである。本件における被告人らの長谷川助役に対する所為については、先ず電務区長室における同人に対するいわゆるつるし上げの行為をはじめとして、同人の身体の自由に対する名実共に不法逮捕罪の構成要件を充足すると認むべき拘束の所為は、これを許すべきものではなく、殊に本件ビラの如きは、前段において説明したとおり、その内容が不穏当であるため、本来その掲示が許されないものであり、ただ、それを剥取るにあたつて組合側に断らなかつたことが問題になるといえばなる程度に過ぎず、これをもつて組合の権利に対する侵害が重大で、将来正当な組合運動に対する侵害が繰り返えされる危険が存在するなどと声を大にすべき程のものでないのであるから、これが奪還をはかるため人身を暴力をもつて拘束し人質とするというが如き所為が許される筈もないというべく、かかる意味において原判決の法益均衡論は相当であるとはいい難く、この点についても検察官の所論は理由があるというべきである(なお、検察官は以上の外、実質的違法性阻却事由の有無を論ずるについては、ある行為をすることが必要不可欠で他にこれに代るべき手段方法を見出すことが不可能であるとか、若しくは著しく困難であるとかいう補充性の有無を判断しなければならないのに、原判決はその点の判断を欠いている。本件については、長谷川助役の所為が窃盗罪であるとし、犯罪の成否並びに紛争の解決を捜査官の手にゆだねようと意図したものとしてみても、同人を逮捕して警察へ連行する必要はなく、警察に対し百十番の通報をするとか、被害届、告訴等の手続をして捜査の依頼をすれば十分である、原判決はこれを無視しているという趣旨の主張をしているのである。よつて按ずるに、原判決は所論補充性の点について論及していないのであるが、本件被告人らの所為は既に前段において認定した如く、長谷川助役のビラ剥取りの所為並びにこれについての当局側の見解に対し暴力をもつて対抗し、長谷川助役を人質としてその身体の自由を拘束し、身柄と交換にビラを奪還しようという目的の下になされたもので、犯罪の成否とか、紛争の解決を捜査官の手に委ねようというのは、主たる目的ではなかつたと認むべきであり、若し、真に後者の意図であるならば、検察官所論のとおりの手段により、警察に捜査の依頼をしただけでも足りるわけであつたというべきであるから、これらの点からいつても、被告人らの長谷川助役に対する本件所為は実質的違法性を欠くとすべき理由に乏しいといわなければならない。)。
以上、これを要するに、被告人らの長谷川助役に対する身体の自由拘束の所為は、新鉄局の北門前から自動車に乗せて昭和橋東詰に至つた間はもちろんのこと、電務区長室から新鉄局西門を経て同局北門に至り、自動車に乗車させるまでの間も、名実共に刑法における不法逮捕罪の構成要件に該当するものと認めるのが相当で、それを、被告人らの所為は逮捕罪の構成要件には該当するが、実質的違法性の基準に照らせば、その目的において正当であり、そのための手段、方法、程度においても社会的に正当であり、特に法益の均衡を失うとは断じ難く、実質的に全体としての法律秩序の精神から是認できるが故に、刑法第三十五条による正当な行為と認むべきで、犯罪は成立しないと判断した原判決は、違法性阻却に関する事実の認定及び刑法第三十五条の適用をなすべきでないのにこれの適用があるものと解した点において法令の適用を誤つた違法があるといわなければならない。
果して然らば、検察官の原判決には事実誤認並びに法令の解釈、適用に誤りがあるとする所論は理由があることに帰し、検察官の爾余の論旨(被告人桑原、同清野に対する量刑不当の論旨)につき判断をするまでもなく、原判決は判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認及び法令解釈、適用の誤りがあるという事由により破棄を免れないと認むべきである。
(久永 井波 宮後)